1981年の洋楽 名曲50選!
続いては、1組のアーティストにフォーカスして、名曲の数々を紹介していきましょう。
そのアーティストは、「ダリル・ホール&ジョン・オーツ」です。
ブラック・ミュージックを白人が継承して演奏される音楽ジャンル「ブルー・アイド・ソウル」の代表格です。
(しかし、ダリルは差別的な侮辱であると、こう呼ばれることを否定しています。)
1960年代後半にR&Bやソウルを敬愛する2人が出会って意気投合し、結成されました。
1972年にデビューし、1977年には「リッチ・ガール」で全米1位を記録する快挙を成し遂げました。
しかし、70年代の大半はなかなか成功を掴めず、音楽の方向性にも行き詰まり、不遇の時代を過ごしています。
アリフ・マーディンやデヴィッド・フォスター等、一流のプロデューサーを迎えても、成功には結びつかない。
そこで、80年代に入ると、外部を頼らず自らの力でプロデュースをすることを決意。
音楽性もR&Bやソウルからの影響を発揮しつつ、当時最先端をいくサウンドを導入し、ポップな楽曲作りを志しました。
1980年に9作目のアルバム「Voices」を発表。翌年に、アルバムから「Kiss on My List」が全米1位、
「You Make My Dreams (Come True)」が全米5位を記録する大ヒットとなりました。
そして、1981年には、10作目のアルバム「Private Eyes」を発表。
ここからは「Private Eyes」「I Can't Go for That (No Can Do)」の2曲が全米1位を記録しました。
では、その4曲を紹介します。
Daryl Hall & John Oates ''Kiss on My List''
3週連続1位を記録し、1981年度年間チャートでは7位を記録した大ヒット曲です。
特にイントロで象徴的に流れるリズム音。これは日本製リズムマシン「ローランドCR-78」によるものです。
リズムパターンを自由に設計することができる当時としては画期的なリズムマシンで、
80年代初頭に様々なアーティストによって盛んに使用された電子機材です。
この曲では、リズムマシンと生のドラムを重ね合わせることで、独特のリズム・サウンドを実現しており、
キーボードによるピアノ・サウンドのコード・バッキングも印象的で、洗練された楽曲に仕上がっています。
ちなみに、ヴァン・ヘイレンのエディは「Jump」のシンセパートを作るのに、このピアノ・サウンドを参考にしたそうです。
Daryl Hall & John Oates ''You Make My Dreams (Come True)''
全米5位を記録、欧米では現在に至るまで映画やCM、テレビ番組等で頻繁に使用されています。
その代表例が、2009年に公開された人気青春映画「(500)日のサマー」のダンスシーンです。
spotifyで7億回以上もストリーミングされ、英国では100万枚以上売れている辺り、この曲の人気ぶりが理解できます。
日本のヤマハ製キーボードによる、歯切れのよいサウンドが印象的なナンバーですが、
ダリル曰く、友人達と適当に演奏していたら偶然生まれた曲みたいです。
Daryl Hall & John Oates ''Private Eyes''
全米で2週連続1位を記録した、人気ナンバーです。
当時、演奏メンバーが私立探偵の服装に扮したミュージック・ビデオがMTVで繰り返し放送されました。
サビでは手拍子が登場しますが、実際にライヴでも観客と手拍子をして盛り上がる曲です。
「僕の私立探偵たちが君を見続けているよ、君の全ての動きまでね。」という歌詞が衝撃的なラヴソングです。オープンな時代でした。
日本ではCMに使用されたこともあり、ホール&オーツの中で一番知られている名曲だと思います。
Daryl Hall & John Oates ''I Can't Go for That (No Can Do)''
前述の「ローランドCR-78」による無機質なリズムに、抑制されたシンセ・サウンド、
クールなベース・ラインに、魅惑的なサックス・ソロ。今聴いても斬新で、本当に見事な曲だと思います。
かつ、ホール&オーツの名曲の中でも、一際R&B/ソウル色が濃いナンバーとも言えます。
全米1位を記録し、R&Bチャートの方でも1位を記録するという快挙を成し遂げました。
白人層のアーティストがR&Bチャートで1位を記録するのは、現在まで見渡しても珍しい快挙です。
影響力の面では、ダリル曰く、マイケル・ジャクソンと「We Are The World」の制作現場で会った時、
「ビリー・ジーン」のベース・ラインを作るのに、この曲のベース・ラインを参考にしたんだけど大丈夫?、
とマイケル本人が自分に事後承諾してきた、と明かしていました。
また、ヒップホップ界隈でこの曲の人気が高く、デ・ラ・ソウル、2チェインズ、等がサンプリングしています。
ダリル・ホール&ジョン・オーツ、いかがだったでしょうか?
長い長い不遇の時代から、一躍トップスターの仲間入りを果たしました。
商業的にも影響力の面でも、1981年のホール&オーツはとにかく強かったのです。
間違いなく、80年代を象徴するアーティストの1つです。
続いては、R&B/ソウル/ディスコの名曲を紹介していきましょう。
身体が自然に動いてしまうノリノリのナンバーが勢ぞろいです。
Earth Wind & Fire ''Let's Groove''
続いては1969年に結成され、70年代から活躍している大所帯グループ、アース・ウィンド&ファイアです。
ソウルやR&B、ファンクを融合し、管楽器やパーカッションが鳴り響く、陽気でド派手なサウンドが魅力です。
70年代には、「セプテンバー」「ブギー・ワンダーランド」等、時代を象徴するヒット曲を生み出しました。
そして、1981年に発表されたのが、ディスコの定番、全米3位を記録したこのパーティー・ナンバーです。
イントロでは、マイクと鍵盤を持ち、声をロボット風の機械音に変える特殊な楽器、ヴォコーダーを使用しています。
ファンキーで派手なサウンドに、モーリス・ホワイトとフィリップ・ベイリーの2人の歌声も魅力的です。
ミュージック・ビデオでは、「スキャニメイト」と呼ばれるアナログCG/アニメーション技術が使用されており、
サイケデリックで未来感のある、しかし、今となってはレトロ感満載の映像に仕上がっています。
欧米、そして日本でも、知名度が高い名曲で、CMやテレビ番組等で聴く機会の多いナンバーです。
2013年に、ブルーノ・マーズが「Treasure」のミュージック・ビデオで「スキャニメイト」を使用して、パロディしています。
日本でも、あまりにも強烈な個性を放つこの曲とそのミュージック・ビデオをパロディとして使用する機会が多く、
アニメ「ポプテピピック」でも「Let's Pop Together」という曲名で盛大にパロディしています。
Kool & The Gang ''Get Down On It''
ギター・カッティングとファンキーなグルーヴが最高に格好良い名曲ですね。
全米10位を記録するヒットとなり、ヒップホップ界でもサンプリングされる機会が多いナンバーです。
ミュージック・ビデオでは、前の「レッツ・グルーヴ」同様、スキャニメイトを使用したと思われる映像です。
Rick James ''Super Freak''
80年代初頭にファンク・シーンで活躍したリック・ジェームスの名曲です。
1960年代にモータウン・レーベルと契約を結ぶも、所属していた海兵隊から脱走したとして逮捕、
その後、70年代後半に人気を獲得するまで、長い下積みを経験した苦労人です。
作詞・作曲・プロデュースを自らこなし、楽器(特にベース)を演奏できるファンク・ミュージシャンとして、
プリンスと比較されることが多く、プリンスが大ブレイクを果たす前は互角の人気がありました。
この曲は全米16位を記録し、80年代を代表するファンク・ナンバーとして人気が高いです。
しかし、この曲を何よりも有名にしたのが、MCハマーの「U Can't Touch This」でサンプリングされたときでしょう。
1990年に発表され、世界中に旋風を巻き起こした大ヒット曲ですが、リックは無断で使用されたと訴訟を起こしました。
しかし、1991年に「U Can't Touch This」がグラミー賞最優秀R&B楽曲賞に選ばれた時には、リック自身も受賞しています。
80年代以降、リックは、逮捕沙汰や薬物中毒、重度の病など、波乱万丈な半生を送り、2004年に心不全で死去しています。
2022年には、ニッキー・ミナージュが「Super Freaky Girl」でこの曲をサンプリングし、見事に全米1位を記録しています。
Stevie Wonder ''Happy Birthday''
スティーヴィー・ワンダーの名曲です。作詞作曲プロデュースだけでなく、演奏も全てスティーヴィー1人が担当しています。
当時、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者、キング牧師の誕生日を祝日にしようという案がアメリカで出されていました。
しかし、その案に反対するアメリカ人が多く、それにスティーヴィーが嘆いたため、この曲が作られました。
歌詞には「貴方を祝う日に怒りをぶつける人を法律で取り締まるべき」「善意のために命を捧げた人を称える日があるべき」とあります。
スティーヴィーは、その後もキング牧師の誕生日を祝日化する運動を積極的に働きかけ、
その結果、1986年に、1月の第三月曜日を祝日とする「キング牧師記念日」が始まりました。
祝日開始を記念するコンサートで、スティーヴィーは大トリを務め、ダイアナ・ロス等と共にこの曲を披露しました。
日本でもよく耳にする、今や世界を代表するバースデー・ソングですが、実は社会的なメッセージ・ソングだったのです。
Luther Vandross ''Never Too Much''
アメリカを代表するR&Bシンガー、ルーサー・ヴァンドロスのヒット曲です。
彼は70年代に、ダイアナ・ロス、チャカ・カーン、デヴィッド・ボウイ等のバック・ヴォーカルを務めていましたが、
1981年に遂にソロ・デビューを果たしました。この曲は、全米R&Bチャートで1位を記録した名曲です。
ルーサーの甘くソウルフルな歌声、スラップ奏法の名手、マーカス・ミラーが弾くベースが魅力的です。
ルーサー・ヴァンドロスはバラードの名手、またはデュエット・ソングの名手としても知られ、
90年代には、マライア・キャリー、ジャネット・ジャクソン、フランク・シナトラと共演曲を発表し、話題を集めました。
しかし、2005年に脳卒中のため、54歳という若さでこの世を去っています。
晩年には、ビヨンセとの共演曲を発表したり、自身の楽曲がグラミー賞最優秀楽曲賞に輝くなど、精力的に活躍していました。
Smokey Robinson ''Being With You''
ブラック・ミュージック界の最重要人物、スモーキー・ロビンソンの名曲です。
50年代後半から、設立されたばかりのモータウン・レーベルが初めて契約したアーティスト、ザ・ミラクルズで活躍。
1962年に「You've Really Got a Hold on Me」を発表。後にザ・ビートルズがカバーしました。
1961年には21歳にしてモータウン・レーベルの副社長に就任し、ソングライターとしても活躍。
マーヴィン・ゲイやテンプテーションズ、ジャクソン5がスモーキーが作曲した楽曲をカバーしました。
この曲は、1980年にザ・ミラクルズの1967年の楽曲「More Love」をヒットさせていたキム・カーンズに提供しようと、
スモーキーが作詞・作曲した楽曲でしたが、自身が歌うことになり、いざ発表すると、全米2位、全英1位を記録する大ヒットとなりました。
その間に全米1位を記録していたのが、偶然にも、9週間に渡り1位を死守していたキム・カーンズの「ベティ・デイヴィスの瞳」でした。
Grover Washington Jr. ''Just the Two of Us''
ラジオ向けに大衆的で聴きやすく、R&Bやボサノバ要素を加えたメロウなジャズ・サウンドが特徴の「スムース・ジャズ」。
グローヴァー・ワシントン・ジュニアはその中でも代表格とされています。
この曲のヴォーカルには、70年代に活躍したソウル・ミュージック界の重鎮、ビル・ウィザースを起用しています。
人種の垣根を越えて、人々に勇気を与えるメッセージ性豊かな名曲を数多く残したことで、社会的にも影響力が大きく、
グラミー賞を数多く受賞し、2015年にはロックの殿堂入りを果たしています。
演奏陣も豪華で、ベースにマーカス・ミラー、ドラムスにスティーヴ・ガット、キーボードにリチャード・ティー、
ギターにエリック・ゲイルと、優れた腕前を持つ大物セッション・ミュージシャンを起用しています。
邦題は「クリスタルの恋人たち」ですが、サウンド全体が本当に美しく、都会の夜景を思わせる極上の雰囲気がたまらない名曲です。
この曲は全米2位を記録する大ヒットとなり、1982年にはグラミー賞の最優秀R&B楽曲賞を受賞しました。
この曲をカバーやサンプリングしてきた後世のアーティストはとても多く、日本でも久保田利伸さんを筆頭にカバー例は多いです。
さらに日本では、オシャレ感を演出するこの曲のコード進行を「Just the Two of Us進行」と呼び、邦楽の作曲で頻繁に使用されています。
現代では、tiktokでこの曲が頻繁に使用されるようになり、今や80年代を象徴する名曲として世界的に親しまれています。
グローヴァー・ワシントン・ジュニアは1999年に56歳で死去、ビル・ウィザースは2020年に81歳で死去しています。
ABBA ''Lay All Your Love On Me''
数億枚の売り上げを誇る、スウェーデン発のスーパー・グループ、ABBAの全英7位を記録した人気曲を紹介。
「あなたの情熱を無駄遣いしないで。あなたのすべての愛を私に捧げて下さい」とシリアスに歌われます。
テンポの速いビート、重厚なシンセサウンドに、教会の讃美歌のようなコーラスが印象に残る名曲です。
ABBAはアグネッタ&ビヨルン夫妻、アンニ=フリッド&ベニー夫妻というメンバーで構成されています。
しかし、前者は1979年に、後者は1981年にそれぞれ離婚、グループ間の関係が悪くなり、1982年12月に解散しています。
再結成は困難とされてきましたが、2021年に本格的に再始動を果たし、新アルバムを発表したのは、記憶に新しいですよね。