1981年の洋楽 名曲50選!
さて、ここからは話題をロック・シーンへ移しましょう。
MTVの台頭などで、音楽というものが一層国民的な娯楽となり、音楽シーンで大衆化が進んだ時代。
その波は、ロック・シーンにも波及します。
圧倒的多数の聴衆を魅了するポップな楽曲を量産するロック・バンドが続々と登場し、ヒット・チャートを賑わせます。
それは若手だけでなく、60年代~70年代に活躍した大物バンド/歌手もその流れに乗り、成功した例も数多くあります。
主流に反発する音楽というイメージの強かったロックが、大衆の心を掴む産業的な音楽へと移行していったのです。
やはり作り込まれている分、現在に至るまで人々を魅了し続けるクオリティの高い名曲が、この時代は勢ぞろいです。
一方で、80年代を迎えるに辺り、新しい形のロックを作ろうと、イギリスを中心に巻き起こったムーヴメント、
「ニュー・ウェイヴ」の熱は、この時期にピークを迎えます。
さらにこの時期、音楽だけではなく、メイクや衣装といったヴィジュアルにも力を入れたバンドがイギリスから続々と登場します。
「ニュー・ロマンティックス」と呼ばれるこの現象は、その派手なルックスと容姿端麗な美貌から、世界中でアイドル的な注目を集め、
80年代の音楽シーンに大きな影響を与えるほどの熱狂的なブームとなっていきます。
それでは、1981年のロックの名曲を、盛り沢山紹介していきます。
Journey ''Don't Stop Believin' ''
1973年に結成されたアメリカを代表するロックバンド、ジャーニーが放った80年代を象徴する名曲を紹介します。
spotifyでは、2021年2月に再生回数10億回を達成し、現時点では17億回を超えている、現在でも超人気曲です。
リーダーでギタリストのニール・ショーンは、1971年に17歳でサンタナに参加していた経歴のある実力派ギタリスト。
ジャーニーの音楽性は、当初、ジャズや演奏重視の複雑な音楽性で、商業性は低いバンドでした。
しかし、1977にスティーヴ・ペリーをヴォーカルを迎えると、音楽性に変化が訪れます。
歌唱力の高いスティーヴの歌声を活かしたメロディアスでポップなサウンドへ方向転換するようになったのです。
そして、その方向性が頂点に達したのが、この時期です。
この曲のメイン・ソングライターは当時加入したばかりのキーボード奏者、ジョナサン・ケインです。
彼がまだ深刻な下積み時代の頃に、父親に電話する度にかけてもらった言葉をタイトルにしています。
歌詞では、田舎から、何かを探し求めて、深夜の列車に乗って都会に出てくる若者達にスポットが当てられていて、
「信じることを止めないで、その気持ちをしっかり持って、街灯の下にいる者達よ」と歌われます。
この曲では、曲の最終パートまでサビに到達しないという、珍しくもドラマティックな曲構成が採用されています。
曲全体がサビに聞こえるほどメロディアスで、盛り上がりを増幅していく効果も生み出すというマジックをもたらしています。
この曲が収録された1981年のアルバム「Escape」は、全米1位を記録し、大ヒット。
2021年にはアメリカだけでも売上枚数が1000万枚以上に達する快挙を成し遂げました。
この曲は、欧米、日本でも、CM、テレビ番組、映画、スポーツイベント等、あらゆる場面で使用される名曲であり、
特に、世界的に社会現象を巻き起こした2009年の音楽系ドラマ「グリー」で、合唱シーンで大々的に使用されると、
グリー・キャストによるヴァージョンが、全米4位、全英2位を記録する大ヒットとなり、若者の間にも浸透しました。
2022年には、アメリカ議会図書館の国家保存重要録音物に登録され、今やアメリカの国民的名曲となっています。
Foreigner ''Waiting for a Girl like You''
1976年に結成され、全世界で8000万枚以上の売上枚数を誇るスーパー・バンド、フォリナーです。
イギリス人とアメリカ人の混合バンドで、メンバーはハード・ロック/プログレッシヴ・ロック出身の実力者揃い。
当初は王道のハードロックを志向していて、デビューの頃からアルバムはミリオンセラーに達するほど大成功していました。
しかし、成功すると共に、キーボード・サウンドを基調としたポップなサウンドに転向していきます。
そして、1981年にアルバム「4」が発表され、そこに収録されたのがこの名バラードです。
アルバムのプロデューサーは、AC/DCの「Back in Black」で実績を上げていたロバート・ジョン・マット・ランジが担当。
シンセサイザーは、1982年の「She Blinded Me with Silence」の大ヒットで知られるトーマス・ドルビーが担当しています。
この曲ではギターは使用されず、音楽性はR&Bとも言える、優しく落ち着いたサウンドに仕上がっています。
結果的には、全米で10週連続2位(その間1位を独占していたのがオリビア=ニュートン・ジョンの「フィジカル」)を記録し、
アルバム「4」も全米で10週間に渡って1位を記録する大ヒットとなり、
ハード・ロック層のファンだけではなく、大衆からの支持を掴むことに成功します。
REO Speedwagon ''Take It On the Run''
前年、「Keep on Loving You」が全米1位の大ヒットを記録し、人気の絶頂を迎えていたREOスピードワゴンです。
全世界で1000万枚以上を売り上げた「Hi Infidelity」から、全米5位を記録したヒット曲です。
このバンドも70年代は硬派なハード・ロックバンドで商業性とは一切無縁でしたが、
80年代を迎えるに辺り、ポップなサウンドにシフトし、突如大成功を収めたバンドです。
作曲がバンドのギタリストという事もあり、ハードなギター・サウンドを強く押し出した情熱のバラードです。
The J Geils Band ''Centerfold''
1968年に結成されたアメリカ出身のバンド、J・ガイルズ・バンドの代表曲です。
70年代は野性味あふれるブルース・ロックを志向していましたが、80年代にポップなサウンドへと変化を遂げます。
「センターフォールド」とは、雑誌の真ん中のページにある見開きページのことで、
歌詞では、学生時代に憧れだった女の子が、グラビア雑誌の見開きページに載っていてショックを受ける青年が描かれています。
ヴォーカルのピーター・ウルフがセクシーな少女達と戯れ合うミュージック・ビデオは、実際の学校で撮影されました。
これがMTVで繰り返しオンエアされ、結果的には全米6週連続1位、1982年度の年間チャートで5位を記録する大ヒットとなりました。
日本では、2010年代に自動車のCMに起用され、聴いたことがある方は多いと思います。
イントロのキーボードの特徴的なフレーズと、快活の良いノリノリな掛け声が印象に残る名曲です。
バンドの中心人物だったJ・ガイルズは2017年に死去、バンドは活動に幕を降ろしました。
Loverboy ''Working for the Weekend''
はじけるように明るいサウンドで、80年代に人気を博したカナダ出身のロック・バンド、ラヴァーボーイです。
「みんな楽しい週末のために働いているんだ」と歌われる、こちらも明るく元気なロック・ソングで、
アメリカでは、映画やドラマなどでよく使用される名曲です。邦題は「それ行け!ウィークエンド」。
ミュージック・ビデオでは、真っ赤なヘッドバンド/バンダナ、真っ赤なレザーを身に着けたマイク・レノを含め、
演奏するメンバーが、80年代ファッション全開です。
Rick Springfield ''Jessie's Girl''
オーストラリア出身のロック歌手兼俳優、リック・スプリングフィールドによる大ヒット曲です。
彼の人気は遅咲きで、1972年にデビューするも殆ど売れず、レコード会社を転々するなど、不遇の時代を過ごしました。
しかし、1970年代後半に俳優業に転身すると、その端正なルックスから注目を集め始め、
1981年に放送されたTVドラマ「ジェネラル・ホスピタル」で医者役を演じ、ブレイクを果たしました。
そして、同時期に音楽活動を再開し、生まれたのがこの名曲です。
歌詞では、友人のガールフレンドに恋をしてしまい、三角関係に苦しむ男の子が描かれています。
全米で2週連続1位を記録し、グラミー賞の最優秀男性ロック・ヴォーカル賞を受賞しました。
リックは、他にも80年代に数多くの全米ヒット曲を送り出し、俳優業でも活躍しています。
Billy Idol ''Dancing with Myself''
1981年にバンドは解散し、ソロとして独立して放ったデビュー曲にして、人気曲です。
疾走感溢れるパンク・ロック・ナンバーですが、実はこの曲の誕生の裏には、日本とゆかりの深いエピソードがあります。
歌詞には「東京のダンスフロア 鏡に映った自分と俺はひとりで踊るのさ」とあります。
1979年にジェネレーションXとして来日した際に東京のディスコで見た、鏡の前で踊る人たちを目にして、この曲のアイデアが生まれたそうです。
Billy Squier ''The Stroke''
アメリカ出身のロック歌手、ビリー・スクワイアの名曲です。
どっしりと鳴るドラムビートに、パンチの効いたギター・リフが印象的です。
エミネムが2013年に発表し、全米3位を記録した「Berzerk」でサンプリングされているので、
ヒップホップ・ファンの間では知られているかもしれません。